医者になったとき、私は「一人でも多くの患者さんを診たい」という気持ちでした。
研究するよりも、臨床のほうが興味がありました。
ですが最近は、研究と臨床は必ずしも二者択一ではないと考えるようになりました。
研究することで、今の医学はどれだけのことが分かっていて、どれだけのことが分かっていないかを知ります。
分かっていることを組み合わせて、患者さんに最善の医療を提供できるようになります。
研究することで臨床をもっと深く、もっと正しく行えるようになります。
この考え方をするに至ったのは、恩師の存在もあるでしょう。
和歌山県立医科大学小児科の前教授の吉川徳茂先生に研究の面白さを教わってから、臨床研究に強く興味を持ちました。
今は研究計画書を書き上げたところで、これから倫理委員会に通します。
もちろん、臨床研究の本来の目的は、新たな治療の発見です。
医学の進歩に貢献することが臨床研究の意義です。
しかし、正しい研究がされないと、間違ったデータが出来上がります。
間違ったデータをもとに、新しい治療ガイドラインが出来上がったとしたら、それは医学の後退と考えるべきでしょう。
臨床研究は正しく行われなければなりません。
今回、「聖マリアンナ医大 臨床研究6件に不備 中止を勧告へ」というニュースを受け、正しい臨床研究のあり方について記事にします。
このページの目次です。
中止となった臨床研究の概要
発端となったのは、「初発エピソード統合失調症患者の認知機能障害に対する第2世代抗精神病薬blonanserinの効果:aripiprazoleとのオープン比較試験」という研究の不備です。
この研究は2016年2月には中止されていますが、その概要は「UMIN」という臨床研究登録システムに保存されています。
上記試験の概要はこちらです。
この試験の目的は、統合失調症の患者さんにblonanserinまたはaripiprazoleを内服させ、認知機能がどうなるかを比較することです。
試験デザインは、オープン試験です。
どちらの薬を飲むのかは、ランダムで、乱数表を使って割り付けます。
つまり、患者さんも医者も、blonanserinを飲んでいるのか、aripiprazoleを飲んでいるのか分かっています。
ここまで聞くと、何も不備を感じないように思います。
blonanserinとaripiprazole、どちらがより効果的なお薬なのかを知るために、2つの薬を実際に試して、効果を比較するという研究です。
この研究の何が問題だったのでしょうか。
臨床研究の不備
上記の臨床研究には、4つの不備があります。
割り付け調節因子がない
blonanserinとaripiprazole、どちらを使うかをランダムに決めるのですが、完全にランダムにしてしまうのは不適切です。
認知機能がどうなるか、というアウトカムに影響する交絡因子が減るように、調節するほうが、質の高い研究になります。
私は精神科ではないので、はっきりとは言えませんが、少なくても年齢と性別については認知機能に影響するのではないでしょうか。
そうであれば、blonanserin群とaripiprazole群とが、同じ年齢構成で、同じ男女比になるように調節すべきだったと思います。
割り付け調節因子が設定されていないこと自体が、この研究の質の低さ、およびデータ管理の甘さを感じます。
実際はランダム化されていない
乱数表を使ってランダム化したことを100歩譲って許容します。
しかし、今回の割り付けは、実際には乱数表を使っていなかったのです。
研究担当者が「あなたはblonanserinで行きましょう」と恣意的に決めていたようです。
これでは、もし研究担当者が「blonanserinが有効だと証明したい」と思っていたら、恣意的に軽症な患者さんにblonanserinを割り当てることができてしまいます。
これは、研究担当者が恣意的にアウトカムを操作できることを意味します。
こんな研究は、科学ではありません。
割り付け調節因子があれば、こんな事態は防げたかもしれません。
乱数表による完全ランダム化をしてしまったことで、研究者が乱数表を使わず恣意的に割り付けしたことを助長させたのでしょう。
質の悪さがさらなる質の悪さに繋がる、非常に残念な事例です。
オープン試験に関わらずアウトカムが甘い
研究には「二重盲検化」という方法があります。
患者さんも、担当医師も、投与した薬がblonanserinかaripiprazoleか分からない状態にするというのが、いわゆる「二重盲検化」です。
正しく二重盲検化されると、医者はblonanserinに肩入れすることができなくなります。
その患者さんがblonanserinを使っているかどうか分からないからです。
二重盲検化は質の高い研究に必要です。
今回の臨床試験は「オープン試験」です。
投与した薬がblonanserinかどうか、みんな分かっています。
オープン試験自体が悪いわけではありません。
仮説を掘り下げる、探索的な研究としてとても大切です。
ですが、オープン試験には適切なアウトカムがあると思うのです。
今回の研究のアウトカムは、統合失調症認知機能簡易評価尺度で評価されます。
とても客観的でよい尺度だと思うのですが、一部学習効果を認める項目があるのが気になります。
統合失調症認知機能簡易評価尺度では、数字を小さい順に並び替えるテストがあります。
テストの前に「練習」をさせると、実際のテストでいいスコアが取れます。
評価者がちょっとインチキすれば、スコアを操作することができます。
もちろん、そんなインチキな認知機能評価をするとは思えません。
ですが、オープン試験では「インチキが可能」という点が問題です。
「investigator-blind」という手法をとれば、この問題解決します。
つまり、統合失調症認知機能簡易評価尺度を使って評価する医師には、その患者がblonanserin群なのかaripiprazole群なのか分からなくするのです。
こうしておけば、blonanserinを肩入れすることはできませんので、インチキできません。
investigator-blindをするか、もしくは評価者が絶対に肩入れできないアウトカムにするか、どちらかがオープン試験では必要だと思います。
利益相反
blonanserinの製薬メーカーが、研究者に年間250万円支払ったという問題です。
研究には資金が必要です。
メーカーから資金提供を受けることも、質の高い研究には必要となることもあります。
ですが、利益相反は開示しなければなりません。
秘密にしていれば、blonanserinに有利なデータ改ざんを疑われてしまいます。
まとめ
聖マリアンナ医大の臨床研究の不備を4つ指摘しました。
同じ医者として、同僚を批判するのは心苦しいのですが、この4つの不備はヒューマンエラーでは説明できません。
もっと悪質で、程度の低い事件だと思います
研究は希望の光だと私は思っています。
研究するからこそ、今まで治らなかった病気が治るようになるのです。
ですが、誤った研究はただの闇です。
間違ったデータによって現場は混乱し、医療技術は後退します。
今、私は研究計画書を書きながら、研究の大変さをひしひしと感じています。
こんなに頑張って準備して、研究結果が「有意差なし」となるのが怖いです。
ですが、「有意差が出ないことを恐れなくてよい」と吉川先生に言われました。
有意差が出ないこともまた、医学の発展なのだと。
本来有意差が出るべきではない事象が、誤った研究によって有意差をつけられてしまうことのほうが、害悪です。