「丹波霧」を知っていますか?
丹波はコンパクトな盆地となっているので、とても濃い霧がよく発生します。
霧が出る日はよく晴れる、霧が濃い日は濡れる、霧が黒豆をおいしくする、などなど。
丹波で生活していると、霧はよく話題になります。
私も丹波にきて5年。
すっかり「霧の都」に慣れてきました。
特に「霧が晴れて青空が広がる感覚」は、まさに丹波だなあと思います。
さて、この「霧が晴れて青空が広がる感覚」。
小児科外来でも同じだと思うのです。
子どもが訴える、ぼんやりとした症状。
子どもから得られる、ぼんやりとした所見。
霧が深くて、前がほとんど見えません。
やみくもに進めば、きっと道に迷うでしょう。
ですが、そんな霧の中でも、実はしっかり見えるものがあります。
明確でシンプルな道しるべが、実はあります。
それを頼りに進んでください。
「霧が晴れて青空が広がる感覚」が待っています。
今回書いたのは、そういう本です。
まずは、序文を読んでいただけると幸いです。
小児科診療のハードルを下げたい
子どもを診るのは小児科医の仕事だと思っていた。
だが、地方では小児科医不足が進み、小児科医だけで子どもを診ていける時代ではなくなった。
これは、2017年に兵庫県丹波市で地域医療をするようになって実感したことだ。
私が知らなかっただけで、きっとずいぶん昔からこの問題は存在していたのだろう。
これからの子どもを支えていくには、内科や研修医の先生たちの力が必要だ。
そう気づいたときから、私はもっと簡単に子どもを診療できないのか、ということばかりを考えるようになった。
小児科診療の技術的・心理的なハードルを下げたい。
高齢者を診る機会のほうが圧倒的に多く、子どもを診る機会が相対的に少ないプライマリ・ケアの先生や、そもそも子どもを診る経験自体が絶対的に少ない研修医の先生であっても、子どもは難しい・無理だと思うことなく診療できる方法を模索した。
まず私は、自院の研修医に向けて小児のマニュアルを作った。
じほう様の協力もあって、2019年には「小児科ファーストタッチ」という書籍となった。
私に忖度してかどうかは知らないが、当院の研修医はファーストタッチを片手に子どもの診療を行っている。
アナフィラキシーや気管支喘息発作など、病名がついている状況での彼らのファーストタッチは迅速で的確だ。
治療計画の説明に関しても、研修医の先生はなかなかスマートで堂々としている。
若い先生たちの戦力は正直なところ私の想像以上で、彼らのおかげで私はすでに何度も助けられた。
病名がついていると、道がクリアに見えるのだろう。
「小児科ファーストタッチ」であれ、Up to dateであれ、その病名を検索すれば、必要な知識は瞬時に手に入る。
検索のしやすさ、勉強のしやすさ、説明のしやすさが格段に向上する。
だから、病名がついてからの研修医は非常に心強い。
病名がつく前に霧が立ち込める
だが、その手前の部分に物足りなさがあった。
1つの欲求を満たすと、すぐに新たな欲求が生まれるのが人間である。
最初はポテトチップスを1枚ずつパリパリ食べて満足できていても、すぐに2枚3枚重ねてボリボリ食べたくならないだろうか。
診断に必要な検査が不足していたり、そのせいか診断に自信がなかったり、逆に根拠が薄い割に妙に自信があったり。
まあ、これだけできていれば上出来なのかなと思いつつも、小児科医からすれば「もう一息、いやポテチもう1枚!」と言いたくなる。
言いたくなるポイントはやはり検査と診断、すなわち病名がつく前に多い。
病名がつく前は道が見えないのだ。霧が立ち込めたかのように、ぼんやりとしてくる。
その症状をUp to dateで検索しても、ぼんやりとした知識しか手に入らない。
だから、ぼんやりとした医療になる。
病名がつく前に、どのような計画を立てるか。
これは「臨床推論」と呼ばれることもあるし、疾患ごとの各論に対して「総論」と呼ばれることもある。
道が見えない状況でも迷わないために、私は研修医に地図とコンパスを持たせたつもりだった。
「小児科ファーストタッチ」では、本文の3割以上を「総論」に充てた。
どういうポイントに気をつけて診察し、どういうポイントがあればどの検査をするかをできるだけ詳しく、時にくどく書いた。
このファーストタッチが、方向を明確に示すコンパスとなり、または具体的で分かりやすい地図となって、霧が立ち込める道を照らすと思っていた。
だが、実際の患児を前にすると、多くの研修医が結局何から始めればいいのか分からなくなっている。
発熱、咳嗽の2歳児を診療するとき、気を付けるべきポイントを抑えられていない。
内科のトレーニングで鍛え上げられたTop to bottomはもちろん大切だが、そのアプローチは小児の問題点をより複雑にし、カルテをひたすら長くさせ、ただでさえ苦手意識を持っている小児科診療のハードルをさらに上げた。
試しに「気を付けるべきポイントは何だろう?」という質問してみると、「ポイント、ですか?」と首を傾げるか、「全部大切だと思います」と息巻くか。
そして、結局ポイントを見逃す。
「明確で具体的」なポイントをチェック
発熱や咳嗽、腹痛などの症状に対して、気を付けるべきポイントが一挙に、そして並列に記載されると、「明確さ」は失われてしまうようだ。
淡々と並んだ情報の羅列は、ピントをぼんやりさせる。
「明確なポイント」というのは、「まずは、これに注意!」のような順位づけや、「これだけは注意!」のような重みづけが必要なのだ。
また、「総論」に汎用性を持たせようとした結果、抽象的な表現が多くなってしまい、なかなか具体的なイメージにつながらないことにも気づいた。
そもそも、研修医は子どもを診る経験が全体的に少ない。
子どもだけを10年以上診療し続けてきた私と、1か月しか小児科研修をしない彼らとでは、圧倒的に経験数が違う。
子どもの症状に対して、文字情報でポイントを書いても、それは抽象的な概念としか映らず、具体的なイメージが湧かないのだ。
彼らの不足した経験を補う、より「具体的なポイント」を示さなければならない。
明確で具体的。
これは本書のキーワードである。
「明確で具体的なポイント」を研修医に伝えるには、どうすればいいか。
もっとも簡単なのは、実際に診察している研修医の隣に指導医がついて、気を付けるべきポイントを毎回チェックしていけばいい。
だが、私には私の仕事もあるので、当院の研修医であっても、べったりくっついてあげることはできない。
私は研修医を戦力として期待しているし、研修医もその期待に対してなんとなく喜んでいるように見えるので、私にべったりとチェックされるのも彼らの本意ではないだろう。
物理的にはそばについているわけではないが、精神的にはポイントをチェックされているような状況になればいいのだが。
そこで私は、また書籍の力を借りることにした。
対話形式の本を作り、明確なポイントを示していく。
具体的な症例をベースとし、研修医の不足した経験を補う。
研修医がポイントを導き出し、指導医がチェックする。
対話方式は特段珍しい書き方ではないが、「明確で具体的」を実現するには、研修医と指導医の対話の中で生まれるチェックポイントが大切だと考えた。
病名がついてなくても難しくない
プライマリ・ケア医や研修医の先生たちが普段診ているような患者は、たくさんのプロブレムを同時に持っていることだろう。
それに比べて、子どものプロブレムというのは1つか2つだ。
既往歴や合併症は少なく、小児科診療は非常にシンプルである。
そもそも、私は2つ以上のことを同時に考えるのが苦手だ。
吉野家の店員さんが注文、配膳、後片付け、会計までを一人でこなす様子を見て、「絶対に私にはできない」とつくづく思う。
私が吉野家で働くためには、せめてメニューを牛丼並盛だけにしてもらわなければならない。
プライマリ・ケア医や研修医の先生たちは、きっとトッピングもセットメニューも何でもありで対応できるように修練を積んでいるはずだ。
先生たちであれば、もっと上手に子どもを診られる。
小児科診療はシンプルである。
ハードルは高くない。
本書の「明確で具体的」なチェックポイントで、そう実感して頂ければ本望である。