2019年5月。
平成から令和に変わりました。
私の住んでいる篠山市も、日を同じくして「丹波篠山市」という名称に変わりました。
私自身も変わらなければと思って、このゴールデンウィーク中に一つの目標を立てました。
それが「小児感染症のトリセツREMAKE」を読み切ることでした。
今回は、「小児感染症のトリセツREMAKE」の感想を書きます。
トリセツREMAKEはまさにフランス料理のフルコースのような一冊でした。
このページの目次です。
前菜:診断に必要な疫学と所見と検査
料理の最初に前菜は必要です。
感染症診療を料理にたとえるなら、その前菜は「疫学および所見と検査の感度・特異度」でしょう。
これがなければ、正しい診断ができず、その結果正しい治療もできません。
所見をとるのを『あきらめない』というのは大切ですよね。
初めましてで「わー!」と子どもが泣いてしまっても、そのうち心を許してくれたり、または大人の退屈な話で眠ってしまったりして、突然「聴診のチャンス」がやってくることもあります。
小児科医に必要なハートは「刃の心と書いて忍び」すなわち「忍耐強さ」だとつくづく感じていましたが、本書も『待つ』『あきらめない』大切さが書かれており、一臨床医として共感しました。
『現在が第何病日にあたるのか』、『その感染症の流れのどこに位置しているのか』は常に意識すべきです。
当たり前のことなのに、こうやって言語化され、あらためてその大切さに気づくことができました。
やっぱり思考の言語化って大事です。
検査でアクションが変わるかどうかが検査の価値という表現も、面白いです。
ちょうど10年前、岩田健太郎先生に「その検査が陽性だったら先生どうするの? 陰性だったらどうするの? 先生、陽性でも陰性でもすることが同じじゃん。じゃあその検査する意味あるの?」と総合診療科カンファレンスでご指導頂いたことを思い出しました。
感染症科の先生ってこういうところに共通のルーツがあるのでしょうか。
スープ:抗微生物薬の特徴
感染症の本というと、いかにも「抗菌薬のうんちく」という印象を持ちます。
というか、持っていました。
『この抗菌薬のスペクトラムは〇〇と◇◇で、でも△△の××にも効果があり、いっぽうで■■の▼▼には効かなくて』という内容を見ると、「いや、そもそもこの患者さんが一体何の病原体を持っているかが分からないのです!」となって、それ以上読むことをあきらめてしまっていました。
トリセツでは、病原体確定→治療ではなく、臨床診断→治療の流れがメインです。
もちろん抗微生物学の特徴も書かれているのですが、それは非常にあっさりとしたスープのようなものです。
次のメインディッシュに向けた、口と胃を潤すための下準備と捉えました。
経口第三世代セフェムやトスフロキサシンが「あえてスルー」である点に清々しさを感じました。
不思議と、笠井先生の講演にあった「特定の抗菌薬を悪者にしないように」というメッセージを思い出しました。
感染症科医はおそらくこれらの薬にいろいろな思いを持っているはずですが、そこを「あえてスルー」という対応を取ったところが逆に伊藤先生の想いを語っているように感じました。
(深読みしすぎでしたら申し訳ありません)
いまいちどう扱えばいいのか分からなかったピペラシリン/タゾバクタムや、小児では使ったことがなかったセフェピムについて端的に解説があって分かりやすかったです。
推奨する用量と添付文書量を併記している構成もよかったです。
各種ガイドラインとの祖語も後述されており、通して読めば理解が深まる構造になっています。
TDMのタイミングは重宝します。
腎機能による投与量調節といい、「かゆいところに手が届く」仕様です。
その他、分かっている気になっていたけれど実は知らなかったトリビアもたくさんありました。(クラバモックスが食前投与の理由って考えたことありませんでした)
私は関西人で、関西人は「それってなんぼなん?」というトークで盛り上がりがちで、トリセツ1の薬の値段は大いに楽しませてもらいましたが、今回のトリセツREMAKEでもリネゾリドの値段など要所は押さえられていました。
抗真菌薬は本当に無学だったので、最初から最後まで新鮮な気持ちで読み終えました。
抗ウイルス薬で印象的だったのは、抗インフルエンザ薬の解説でした。
オセルタミビルへの信頼と、明らかに消化管が使用できない状況でのみぺラミビルを使用する姿勢(意識障害があっても基本はNGチューブからオセルタミビル)には、冷静と情熱のあいだを垣間見たような気がしました。
バロキサビルはコラムにも言い訳にも登場しませんでしたが、「いわんやバロキサビルをや」ということなのでしょう。
死馬且買之、況生者乎
死馬すらかつこれを買ふ、いわんや生ける者をや
(訳:死んだ馬でさえ買ったのだから、まして生きた馬ならなおさらです)戦国策 まず隗(かい)より始めよ
メイン:臓器別感染症
臓器別に状況に応じた抗菌薬の種類・量・投与期間はすべて網羅されています。
つまり、このトリセツ1冊あればあらゆる感染症に対応できます。
CRPの価値、聴診所見の価値、レントゲンを撮影するタイミングなど、伊藤先生の考え方にも触れることができます。
この「答えがない問題」に対しても可能な限りエビデンスを添えて、さらに伊藤先生の臨床経験をミックスさせて一つの結論を言語化できている点が良いと思いました。
グラム染色の有用性は随所に出ていますが、やはりグラム染色がなかなかできない状況もあり、その場合の対応も書かれている点が実践的だと感じます(もちろん、いつでもグラム染色ができたほうが実践的だとは思いますが)。
デザート:Essenceで大切なところを再度確認
トリセツは『Origin』と『Essence』の2つに分かれています。
(『Reference』については後述)
Essenceの一番最初のページに『あくまでも本編「Origin」を通読し、深く理解したことを前提としています。「Essence」のみを読んで、その内容を臨床現場に適用することは避けてください』とあります。
まさにその通りで、このEssenceはデザートです。
デザートというのは食後に食べるものです。
これから豪華なフランス料理を食べるのに、甘いものを先に食べたら、お母さんに叱られます。
Essenceはとても端的にまとまっていて、いわゆる『お守り』として携帯することが本来の使い方だと思います。
ですが、私はあえてこのEssenceをOriginの復習用テキストとして使用することを提案します。
つまり、テストのような使い方ができます。
Essenceだけを読んで、「あれ、これどういうことだっけ?」と思ったらまだ理解が足りていない証拠です。
すぐにOriginに戻って復習しましょう。
ワイン:Referenceでさらにトリセツを楽しむ
ワインが飲めなくてもフランス料理は楽しめます。
ですが、もしワインが飲めるならその料理はもっと豊かで味わい深いものとなるでしょう。
Referenceとありますが、参考文献集というのではなく、本編で書ききれなかった想いが余すところなく書かれている印象です。
特に敗血症、中耳炎、肺炎の熱量が高く、読みごたえがありました。
Originだけでも満足していたはずなのに、Referenceでさらに満足感が高まる。
不思議なマリアージュを体験できます。
結論:一気に読み進めたくなる筆力
たくさんの専門家が寄ってたかって書き上げた本というのは、一つ一つの要素は非常に高度な内容に仕上がっています。
ですが、著者が複数であるがゆえに、全体を通すと継ぎ接ぎな印象が残ってしまい、素材は良いのに調和が、ハーモニーが、と思ってしまうこともあります。
もちろん、それはそれで素材を楽しめば良いわけで、決して悪いことだとは思いません。
ちなみに読書において「素材を楽しむ」というのは、好きなページから読んで、苦手なページは後回しにするという読み方とほぼ同じだと思っています。
いっぽうで、一人で書き上げた本というのは、内容に偏りが生じやすいという一般的な問題点を内包しつつも、全体を一貫して流れる整合性、ストーリー性を持ちます。
こういう本を楽しむコツは、最初から順番どおりに読むことでしょう。
いきなり肉料理やデザートから手を付けずに、前菜、スープ、メインディッシュと進めていくのがシェフに対する礼儀でもありますし、またそうしたほうが一般的に満足度も高くなるはずです。
さて、小児感染症のトリセツREMAKEはまさに一貫して流れるストーリー性があり、最初から飛ばさずに全部読むことをお勧めしたくなる本でした。
それは構成の美しさもさることながら、随所に挟みこまれたコラム、言い訳(この言い訳が小児科医らしい優しさを感じます)、ギャグ(散りばめられたユーモアは伊藤先生のものなのか笠井先生のものなのか。私は笠井先生の講演しか聞いたことがないので、どうしても「笠井先生が言いそう」と思ってしまいますが、これは母親の顔しか知らないのにその子どもを見て「お母さんそっくりですね」と言ってしまう状況と同じです)に引き込まれ、気づけば徹夜で読みきってしまうほどの筆力でした。
小児感染症に自信を持ちたい人に、ぜひお薦めのフルコース料理です。