5年くらい前のことです。
友達から電話がかかってきました。
「10か月の子どもに蜂蜜あげてしまったんだけど、病院行ったほうがいい?」
乳児ボツリヌス症を心配して、小児科医である私に連絡してきたのです。
「子どもが元気にしているなら、様子見でいいと思うよ。有名な症状は便秘と哺乳不良と脱力っていうから、そういう症状に気をつけて」
私は小児科医っぽく返事をしました。
ですが、私は乳児ボツリヌス症を診たことがありません。
おそらく、日本中でも乳児ボツリヌス症を経験したことがある小児科医はほとんどいないでしょう。
乳児ボツリヌス症は非常にまれです。
レアケースすぎて、からしレンコンの事件と混同している人すらいるかもしれません。
2017年3月30日、日本で初めて乳児ボツリヌス症の死亡者が出ました。
つまり、わが国では今まで乳児ボツリヌス症で死亡することは、ありませんでした。
この事実をどう解釈すればいいのでしょうか。
それすらも、われわれは乳児ボツリヌス症の経験がないために評価できません。
今回は乳児ボツリヌス症について書きます。
なお、今回の記事は日本小児科学会雑誌2015年1月号「わが国の乳児ボツリヌス症の実状」を参考にしました。
乳児ボツリヌス症の頻度
アメリカでは年間100人の報告があります。
いっぽうで日本は年間1-2人です。
「さすがは衛生国、日本! ボツリヌス菌は日本にはほとんどいないんだ」
と考えるのは早計です。
ボツリヌス菌の検査は簡単にはできないので、日本では多くの乳児ボツリヌス症が見逃されていると考えられます。
2017年3月30日、日本で初めて乳児ボツリヌス症の死亡者が出ました。
ですが、乳児ボツリヌス症による死亡者はもっとたくさんいると思われます。
なぜなら、乳幼児突然死症候群の10-20%はボツリヌス菌と関係しているのではないかと言われているからです。
日本の乳幼児突然死症候群は年間150人ほどです。
ですから、日本でも年間15-30人の乳児ボツリヌス症がいると考えるのが自然でしょう。
乳児ボツリヌス症の原因
ボツリヌス芽胞の摂取が原因です。
ボツリヌスと効くと、からしレンコンを思い浮かべるかもしれません。
あれは「乳児ボツリヌス症」ではなく「食餌性ボツリヌス中毒」といわれます。
いわゆる「食中毒」です。
ボツリヌス毒素を大量に摂取すると、こういった食中毒が起きます。
ボツリヌス毒素は85度で5分間加熱すれば失活するので、加熱すれば安全です。
乳児ボツリヌス症はボツリヌス毒素の摂取で起きるのではありません。
ボツリヌス芽胞の摂取で起きます。
芽胞は熱に強いので、蜂蜜を加熱しても芽胞は死にません。
ボツリヌス芽胞は、大人が食べても腸では発芽しないとされます。
大人の腸は、腸内細菌叢が成熟しているためとされます。
まだ腸内細菌叢が育っていない乳児、特に生後6か月未満の乳児は、大腸で芽胞が発芽して生着することがあります。
腸に生着したボツリヌス菌は、ボツリヌス毒素を出します。
ボツリヌス菌の生着に関わる因子として、母乳栄養であるかどうか、便秘であるかどうかも挙げられます。
母乳はなんと乳児ボツリヌス症のリスクとなっています。
そのリスクは2.9倍とされます。
これについては、次の記事で反論します。
いっぽうで便秘であると、芽胞が大腸に停滞しやすく、腸にボツリヌス菌が生着しやすくなります。
ボツリヌス芽胞が多いことで知られているのは蜂蜜です。
ですが、蜂蜜にしかボツリヌス芽胞がないわけではありません。
ネルソン小児科学には「大部分の乳児ボツリヌス中毒患児は、おそらく空中を浮遊するクロストリジウム(ボツリヌス菌のこと)芽胞を吸入・嚥下している」と書いてあります。
蜂蜜は原因の一つかもしれませんが、ぜんぶではありません。
土やほこりにもボツリヌス芽胞は含まれます。
蜂蜜が乳児ボツリヌス症に寄与するのは0.0225%です。
これについては、こちらの記事で詳しく書いています。
乳児ボツリヌス症の症状
便秘、哺乳力の減弱など、胃腸炎でよくみられそうな症状で始まります。
体の力が抜けて、首を支えられなくなるのも特徴的ですが、ぐったりした子どもはたいていそうなりますので、これも胃腸炎の延長ととらえられがちです。
さらに症状が進んで、呼吸が止まるようになれば、乳児ボツリヌス症も検討しなければなりません。
ですが、RSウイルス感染症や、代謝異常、甲状腺機能低下症、脳症、脊髄性筋萎縮症、ギランバレー症候群、重症筋無力症なども考慮すべきです。
さらには、私は診たことがありませんが、ポリオ(小児まひ)も鑑別に挙がります。
症状から乳児ボツリヌス症と診断するのは、非常に難しいといえます。
乳児ボツリヌス症の診断
保健所に検査の必要性を説明します。
保健所が認めれば検査ができます。
小児科学会雑誌2015年1月号によれば、マウス接種試験が主体とのことです。
疑っている子どもの便をマウスのお腹に注射し、24時間以内にマウスが死亡すれば毒素陽性と判断します。
なんとも原始的な検査です。
乳児ボツリヌス症の治療
呼吸を止めてしまうことがある病気です。
必要に応じて、人工呼吸が必要なります。
毒素が抜け切るまでじっと耐えます。
抗生剤はボツリヌス菌を殺しますが、菌が死ぬときに毒素をまき散らしてしまいますので、乳児ボツリヌス症に抗生剤は使いません。
アメリカでは抗ボツリヌスヒト免疫グロブリン(Baby Big)が使えます。
乳児ボツリヌス症の予後
突然死という経過は非常に残念であり、また防ぐのがとても難しいです。
予防が大切であるのはいうまでもなく、アメリカでも日本同様、「1歳未満にとって蜂蜜は危険な食物である」としています。
乳児ボツリヌス症で突然死することなく、入院にまで至れたケースであれば、死亡する確率は1%未満とされます。
2017年3月30日の乳児ボツリヌス症の治療経過を知らないのでなんともいえませんが、抗ボツリヌスヒト免疫グロブリン(Baby Big)で結果が変わっていたのかどうか、検討が必要です。
なお、乳児ボツリヌス症は通常4週間から6週間の入院となります。
退院後も斜視に注意が必要です。
まとめ
- 乳児ボツリヌス症は日本では年間1-2人とされるが、きっともっといる。
- 乳児ボツリヌス症による死亡は日本では初とされるが、きっともっといる。
- 原因はボツリヌスの芽胞。熱では死なない。蜂蜜が有名だけれど、土やほこりにもボツリヌス芽胞はいる。
- 症状から乳児ボツリヌス症を疑うのは難しく、検査も気軽にはできない。
- 入院は長期間。
日本で、乳児ボツリヌス症の死亡例が今回初めて報告されました。
しかしアメリカの報告と照らし合わせて考えると、日本の乳児ボツリヌス症は、その多くが見逃されていると考えられます。
また、乳幼児突然死症候群の中にも、乳児ボツリヌス症による死亡が混じっているでしょう。
乳幼児突然死症候群の全貌が明らかになれば、日本でもボツリヌスに対する意識がさらに増すかもしれません。
[…] […]