感想文:僕が「PCR」原理主義に反対する理由。

私の医師人生は、神戸大学の総合診療科(現・総合内科)研修で始まりました。
カンファレンスでは感染症内科の先生も参加してくださり、適切なアドバイスを頂きました。
その中には岩田先生もいらっしゃって、「その検査の感度は?」とか、「陽性だったら先生どうするの? 陰性だったら?」とか、「陽性でも陰性でも対応が同じなら、検査する意味があるの?」とか、機関銃のように繰り出される口撃に、私はいつも穴だらけになってました。

当時2009年は新型インフルエンザ感染症で大変な時期でしたが、そんなときでも研修医指導に熱心だった岩田先生に感謝しています。
正直なところ、あの熱い指導は私にとって良い思い出なのか悪い思い出なのか分からないのですが、もしそんなことを岩田先生に相談したら「良い・悪いの二元で考えるのはナンセンスで、何事にも良いところと悪いところがある」と答えられそうな気がします。

そんな岩田先生の本はそこそこ拝読しています。
直近では、1年前に「研修医指導」の本を読みました。

あれからあっという間に1年たって、新型コロナウイルス感染症の以前から高名な感染症医の先生でいらっしゃいましたが、ことに今年はメディアに登場する機会がよりいっそう増えた岩田先生。
今年もたくさんの本を書いておられますが、今日読んだのはこれです。

今回は、『僕が「PCR」原理主義に反対する理由(岩田健太郎)』の要旨や勉強になったことをまとめておきます。
あとで振り返るための自分用メモです。

このページの目次です。

感想文

タイトルにある「PCR原理主義に反対する理由」は、至極まっとうな内容でした。
事前確率、感度、特異度、偽陽性、偽陰性、ベイズの定理など。
「常識を転がしてしまえ」ってところが岩田先生にはあると感じていますが、まっとうなことをまっとうに言うこともあるんだと失礼を承知で思いました。

面白い表現も多くありました。

  • マスクが必要・不要の議論は、ドライブレコーダーが必要・不要の議論と同じ。ドライブレコーダーがあればブレーキが壊れていても安全だってことにはならない。
  • マスクの必要・不要は状況によって変わる。傘をさしたほうがいいのか、ささなくてもいいのかと同じ。シングルアンサーはない。
  • 「頭に頬かむりをして風呂敷を担いでいる人を泥棒とする」だと感度は低い。「キョロキョロしている人を泥棒とする」では特異度が低い。
  • 「急いでやります」と言わず、「スピード感を持って取り組む」と言う。「がんばっている感じ」を出したい。
  • 「安全」はデータと科学的根拠に基づく。「安心」は実在しない。
  • 1000円のランチは高いのか安いのか。数字だけでは「今日はカブトムシを何匹見つけました」と同じで、客観的なデータとはいえない。
  • 千葉県は広かった。

本書の最後は、「死者の相対化が孕む危うさ」という、それまでにはなかった切り口で終わっていました。
コロナウイルス感染症で亡くなってしまった人を、たとえば季節性インフルエンザでなくなる人と「単純な数」だけで比較するのは間違っていると記載されています。

私はこの文章で、鬼滅の刃の鬼舞辻無惨のセリフを思い出しました。

「私に殺されることは大災に遭ったのと同じだと思え。何も難しく考える必要はない。雨が風が山の噴火が大地の揺れがどれだけ人を殺そうとも天変地異に復讐しようという者はいない」

鬼滅の刃

天災なのか人災なのか、という議論をしたいわけではありません。
防ぎ得たのか、防ぎ得なかったのか、という議論がしたいわけでもありません。
ですが、少なくても言えることは「単純な数」の比較は、やはりできないということに私も賛同します。

ちなみに、岩田先生がリーガル・ハイ、バッドマン・ダークナイト、進撃の巨人などが好きなことは知っています。
鬼滅の刃は知っておられるのかなーって、そんなことを思ったりしました。

追記

2020年12月22日、この記事を書いた日の夜に、NHKラジオ第一を聴いていたんです。
そしたら、岡田晴恵先生が出演され、年末年始のコロナ対策についてアドバイスされていました。

アナウンサーの「年末、帰省をするとき、電車の窓を開けたほうがいいですか?」という質問に対し、岡田先生は帰省をしたいと考える人の気持ちを配慮した上で「帰省を延期するというのはいかがでしょうか」と答えていました。
アナウンサーは岡田先生の回答に納得できなかったのか、「でも、どうしても電車に乗らなければいけない人もいますよね」と続けました。
岡田先生は、そういう質問にも丁寧に答えていました。

私は「大人の対応だな」と思うと同時に、「窓を開ければ帰省OK」みたいなメッセージに誤解されないよう伝えることの難しさについて考えました。
それは、岩田先生が「マスクをつければ、密になっても大丈夫、ではないんだ」とか、「ドライブレコーダーをつければ、ブレーキが壊れていても大丈夫、ではないんだ」というメッセージに感じたものと同じです。
マスクも、ドライブレコーダーも、電車の窓を開けることも、いずれも有効だとは思いますが、限界があります。

さらに、私は「本当にどうしても電車に乗らなければならない理由って何だろうか」と考えました。
孫の顔を見せたい、というのは「どうしても電車に乗らなければならない理由」になるのでしょうか。
おじいちゃんの余命があと半年って言われていたらどうでしょうか。
孫の顔を見て死ぬことがおじいちゃんの願いだったとしたらどうでしょうか。
どこからが「どうしても電車に乗らなければならない理由」となるんだろうということを考えました。

ABOUTこの記事をかいた人

小児科専門医、臨床研修指導医、日本周産期新生児医学会新生児蘇生法インストラクター、アメリカ心臓協会小児二次救命法インストラクター、神戸大学大学院医学研究科内科系講座小児科学分野に入局。現在、おかもと小児科・アレルギー科院長。専門はアレルギー疾患だが、新生児から思春期の心まで幅広く診療している。