水戸黄門というドラマ(でいいのかな)を知っていますか?
悪代官という分かりやすい「悪」が登場し、黄門様御一行という「善」が「悪」をやっつけます。
水戸黄門の「悪」はどうしようもない「悪」でして、バイキンマンやジャイアンみたいな「ときどきいいヤツ」ではありません。
また、「ぼくのお父さんは、桃太郎というやつに殺されました」という鬼の子どもの話は、水戸黄門には出てきません。
父を捕らえられて路頭に迷う、不憫な「悪代官の子どもたち」については描写されません。
「悪」は最初から最後まで「悪」のままです。
「善」が勝ち、「悪」が罰を受けると、私たちはすっきりします。
これは勧善懲悪の教育によるものかもしれませんし、人間の本能的なものなのかもしれません。
この「善」と「悪」を見分ける力は、いつから備わるのでしょうか。
今回は、赤ちゃんがいつ「善悪を判断できる」ようになるかについて書きます。
このページの目次です。
赤ちゃんはいつから善悪の判断ができるのか?
今回紹介する論文は、こちらです。
Social evaluation by preverbal infants.(Nature. 2007; 450: 557-9.)
古い上に、原著論文ではありませんが、科学総合誌として有名な「Nature」からです。
そのインパクトファクター43.07(2018年)です。
さっそく読んでいきましょう。
序文
他人について、自分にとって善なのか悪なのか評価できる能力は大切です。
善人、すなわち自分に利する人と行動すれば、利益を得ることでしょう。
逆に、悪人、すなわち自分を害する人と行動をともにすれば、不利益を被るでしょう。
周囲の人々の行動を分析し、誰が味方で誰が敵か、誰がパートナーとして適切で誰がそうでないか、正しく決定できなければなりません。
この論文では、赤ちゃんが「善悪を判断できるか」について検討します。
方法
生後6か月児16人と、生後10か月児12人に実験します。
参加者に映像を見せます。
坂を登ろうとするキャラクターに対し、助けてくれるキャラクターと、邪魔するキャラクターが登場します。
子どもはどのキャラクターを気に入るか、評価します。
具体的な手法は、動画の37秒から見てください。
子どもは気に入ったキャラクターを手に取る、という前提で評価しています。
結果
6か月児16人中14人が、赤●くんを助けてくれる青■くんを気に入りました。
10か月児12人中12人が、同様に青■くんを気に入りました。
なお、単純に赤ちゃんが「ものを押し上げることが好き」という可能性を除外するために、実験を付け加えました。
赤●くんから目を外して、ただの赤い丸にし、坂の中央に置き、青■くんが押し上げたり、黄色△くんが押し下げたりしてみました。
このとき、生後6か月児でも10か月児でも、青■くんと黄色△くんとの評価に差がなくなりました。
つまり、単純に赤ちゃんが「ものを押し上げることが好き」というわけではなさそうでした。
感想
生後6か月の時点で、赤ちゃんは「誰かを助ける人」を善人だと認識し、好むようです。
いっぽうで、「誰かの邪魔をする人」を悪人と認識し、嫌うようです。
遠城寺式・乳幼児分析的発達検査という有名な指標では、このような記載があります。
- 生後3-4か月:あやされると声を出して笑う。
- 生後4-5か月:母親の声と他の人の声を聞き分けられる。
- 生後6-7か月:親しみと怒った顔がわかる。親の話し方で感情を聞き分ける。
- 生後8-9か月:おもちゃを取られると不快感を示す。
- 生後9-10か月:「いけません」と言うとちょっと手を引っ込める。
生後6-7か月の「親しみと怒った顔がわかる」というのが、善悪の判断と似ているのかなと感じました。
人間は、生後6か月から「善悪を判断できる」ようになるようです。
ここからは余談ですが、今回の「善悪」というのはとてもシンプルな評価です。
何が善で、何が悪なのか、おとなになっても判断できないことはたくさんあります。
悪人だっていいことをしますし、善人だってたまに悪いことをします。
立場が変われば、同じ行いも善悪の評価が変わります。
「実は、これには深い事情があって」というお決まりフレーズで、善悪の評価は逆転します。
実際の「善悪」は難しい問題ですが、少なくても「井戸に落ちそうな子どもがいたとき、それを助ける人は善人」という評価は生後6か月の赤ちゃんでもできることが分かりました。
ちなみに「井戸に落ちそうな子どもがいると、誰だって助けようとする」という人間の優しさを「惻隠の心(そくいんのこころ)」といいます。
孟子の言葉ですね。
人間は、誰だって「井戸に落ちそうな子どもがいると、誰だって助けようとする」はずです。
これは人間はもともと善として生まれたのだという、「性善説」を支持するたとえです。
この優しさは「仁」という徳につながります。
「医は仁術」だとしばしば言われます。
生後6か月の子どもに「善」と評価してもらえるような、正しい医師でありたいと思いました。